岡山県井原出身の彫刻家、平櫛田中(ひらくし・でんちゅう:1872〜1979年;明治5年〜昭和54年)は逆縁の人です。弟子のひとりが結核の保菌者だったために、3人の子どもが皆、結核に感染してしまい、昭和元年(1926年)、田中が55歳のときに長女・幾久代が18歳で亡くなります。翌年の昭和2年(1927年)、56歳の時には長男の俊男が17歳で亡くなります。長女の幾久代は、才色兼備の女性でフランス語がよくできたそうです。幾久代の通訳でヨーロッパを美術行脚するのが夢だったそうであるが、田中は生涯、国外に出る機会はありませんでした。昭和3年(1928年)には、幾久代を偲んだ作品・姉娘を製作しています。
 田中は、107歳で亡くなるまで創作意欲が衰えることがなく、亡くなったときには、30年分の製作用の木材が遺されていたそうです。代表作は、東京国立近代美術館の所蔵で国立劇場のロビーに展示されている「鏡獅子」です。昭和26年(1951年)には紺綬褒章を受け、昭和33年(1958年)には井原市名誉市民の第一号として顕彰されています。昭和44年(1969年)に、田中の故郷の井原市は、井原市立田中美術館を開館しました。
 美術館の学芸員によれば、子煩悩だった田中は、結核にかかった子ども達のために金策や看病に奔走するとともに、守り本尊の大日如来と宝塔を浮き彫りにした手のひらに入る小容器(香合)を作りました。表蓋には大日如来を表す「バン」の字が彫られています。病中の幾久代は肌身離さず持っていましたが、その甲斐なく亡くなってしまいます。本作は平櫛家の菩提寺である福山市の善立寺(ぜんりゅうじ)に奉納されました。井原市立田中美術館では、開館50周年記念特別展「没後40年平櫛田中ー美の軌跡ー」(令和元年9.20〜11.10)が開催されており、その香合仏が初公開されています。田中の手によって彫り込まれた小さな大日如来は、なんとも、やわらかく、やさしいお顔で、田中の祈りと願いを今に伝えています。

 

下記文献P98より引用

*平櫛田中の経歴、エピソードおよび画像は以下を参照・引用しました。
田中純一郎・他・執筆:開館五○周年記念特別展 没後四○年 平櫛田中 美の軌跡. 井原市立田中美術館, 2019.